山口県阿武郡東分村(今の萩市)の中村正路園で1886年(明治19年)に発見されましたが、その起源については不明であり、偶然実生のタンゴールとされています。 発見当初は「穴門蜜柑」と称されていましたが、間もなく愛媛県松山市の三好保徳が山口県から苗木を導入し、増殖、普及に努力しました。その結果、同地方の特産となったため「伊予蜜柑」と呼ばれるようになりました。しかし、「伊予蜜柑」という呼び名は伊予産の温州みかんと混同されるため1932年ごろに「伊予柑」と改称されました。 古くから全国のかんきつ栽培地に伝播しましたが、松山城の見えるところでないと生産性が低くて経済栽培が成り立たないともいわれ、広く生産化されることはありませんでした。ところが、1955年に早生で豊産性の宮内伊予柑が枝変わりして発見されて以降、全国的に産地化が進み、いよかん全体として、1960年ごろにはネーブルオレンジの生産量を越え、さらには1987年にはっさくが減少したこともあり、その生産量をも越えました。 |
全国の生産量は4万3千トン(2012年)です。 |
宮内伊予柑
いよかんのほとんどが宮内伊予柑。果形がやや偏平で、果皮がやや薄く、むきやすい。熟すと赤橙色になります。 勝山伊予柑
宮内伊予柑の枝変わり。宮内伊予柑よりやや大きく、着色が5〜7日程度早い。 大谷伊予柑
宮内伊予柑の枝変わり。通称ダイヤオレンジ。果皮がなめらかなのが特徴。袋かけをしないと着色が悪いことから、生産量は大きく減少しています。 |
1月から出回り、1月末〜3月が出荷最盛期です。 |
果皮に張りとツヤがあり、濃いだいだい色で、中玉くらいの大きさのもので、 |
中の袋を歯で噛み切った際に、出てくる果汁を吸い取っておくと、 |
貯蔵性が高いので、温度が高くならず、 |